なぜ、女性がもっぱら「家事育児」の担い手なのでしょうか?
えっ、だって女性の方が向いているからでしょ。
本当にそうでしょうか?
いま日本に「専業主夫」が11万人もいますよ。
男性にも向いている人がいるようです。
それにシェフってほとんど男性ですよ。
料理のうまい下手に男女は関係ないようです。
昔からの伝統なんじゃない、そう考える人もいます。
だって「桃太郎」の話にも、「お爺さんは山に芝刈りに、お婆さんは川に洗濯に」となっているじゃない、というわけです。
しかし、歴史学や社会学の研究によれば、「男は仕事、女は家事育児」の分業は、ごく最近の発明品であるとのこと。
というおとは、西欧諸国でたかだか200年、日本では、まだ70年ほどの歴史しかない?!
「えっ、まさか?!」と思われた方のために少し詳しくご説明します。
「家族」の歴史
まず、「家族」の歴史を振り返ってみたいと思います。
「家族」の歴史って?
これまた意外と思われる方もいらっしゃるのではないでしょうか。
家族なんて人類がこの世に誕生した太古の昔からずっとあるもんでしょ?!
そのように思われても無理はありません。
しかし、それがそうではないのです。
歴史学や社会学などの研究は、私たちがふだん慣れ親しんでいる「家族」(「近代家族」)は、人類に普遍的なものではないこと、歴史上、ある時期に登場・成立したものであること、またこの「家族」のなかで、初めて女性が主に「家事」を担うようになったことを明らかにしています。
そこで、この記事では、「近代家族」(以下「家族」と呼ぶ)が、歴史的にはいつ頃どのようにして成立してきたのか、なぜその「家族」の中で女性が家事をやる(ことを期待される)ようになったのかについて見ていくことにしましょう。
中世ヨーロッパでは、人々は生活する場で生産も行っていました
まず、「家族」がどのようにしてできあがっていったかについて見ていきましょう。
「家族」は、18世紀中頃、に歴史上初登場します。
ご存じ、18世紀中頃といえば、イギリスで最初に産業革命が始まった時期です。
われわれが慣れ親しんでいる家族は、この産業革命が進む過程で、その必然的な副産物としてできあがってきました。
それ以前の中世ヨーロッパでは、私たちの家族に相当する集団は、「ドムス」と呼ばれていました。
「ドムス」が、私たちの「家族」と決定的に違うのは、人々が生活する場であると同時にモノを作る生産を行う場でもあった点です。
生産するものは農作物だったり、チーズやバターなどの加工食品、セーターや手袋などの衣類であったりしました。
当時は、自分たちが生産したものを自分たちで消費する、いわゆる「自給自足」の生活でした。
「ドムス」では、夫婦・親子だけでなく、親戚や使用人がともに暮らしていました。
国民的人気ドラマの「おしん」が奉公していた家を思い出してみてください。
ご主人家族以外にも、おしんのような奉公人が大勢寝泊りして、仕事をしていました。
このように、この時代の「ドムス」(日本では「家」)には、私的領域(「家事労働」)と公的領域(「生産労働」)との区別はなく、これら2つの労働は重層的に重なりあっていました。
産業革命によって「家族」が誕生・登場
ところが、こうした「ドムス」のありようは、産業革命によって大きく変化します。
機械の発明とその使用により、それまで「ドムス」内で行われていた生産活動が、もっぱら工場・オフィスで行なわれるようになります。
こうして生産労働が家の外に出ていってしまったことで、「家族」に残された仕事は、「家事」(育児、介護も含む)だけになりました。
こうして、「家族」が「家事」をやるようになります。
職住分離が進むにつれ、社会のなかに、公・私の区別がはっきりしてきます。
すなわち、「生産労働」を専ら行う公的領域である「市場」と、「家事育児などの再生産労働」を専ら担当する私的領域の「家族」とに分離されていきました。
こうして、「生産労働」が家から工場・会社へと出ていったことで、使用人などを含んだ淡泊で希薄な「家族」関係から、近親者だけからなる濃厚で親密な家族関係へとこれまでと全く性質を異にする集団が成立します。
この家族が、「家族」と呼ばれるようになります。
こうして近代社会は、産業化、都市化と相まって、夫婦中心の小規模単位の「家族」を普及させていきました。
「近代家族」の特徴
この頃の家族の特徴をここで少しまとめておきます。
① 生活の場 ②男性は仕事、女性は家事育児 ③夫婦の絆 ④子ども中心 ⑤プライバシー重視
いかがでしょうか。驚くほど私たちのいまの家族に似ていますね。
私たちがふだん「家族ってこういうものだよね」あるいは「家族はこれじゃなくっちゃっね」いう特徴をもつ集団となっていったのでした。
産業革命の進展とともに、女性の社会地位は低下
ところで、このように「家族」が生活の場、そして、それが“憩いの場”・“安らぎの場”であるべきと期待されているとき、誰かがその役割を担う必要がありました。
他でもない、それこそが女性の役割とされました。
こうして、家事育児といえば女性の仕事でしょ、という考え方・やり方が広く人々の間で受け入れられるようになっていったのでした。
しかし、それは同時に、女性を私的領域の専従者、家族内のケアラー(世話役)として、家庭の中に閉じ込める過程でもあったわけです。
【参考文献】 上野千鶴子 近代家族の成立と終焉 1994 岩波書店