最近、マスメディアを中心に「貧困」という言葉を聞くことが多くなりました。

ことに離婚したシングルマザーや夫を亡くした老年女性の貧困は深刻です。

この記事は、なぜ女性のほうが貧困におちいりやすいのか、その問題を考えていきます。

 

女性の貧困が原因はガラパゴス化した結婚制度のせい

女性が貧困に陥りやすい一番の原因は、結婚という制度にあります。

それは、女性が主に家庭内でやっている家事育児に「タダ働き」(無償労働)だからです。

 

だからこそ、夫が妻を扶養すべしと民法に定められています。

つまり、日本の現行の結婚制度は、家事を無償で担う妻の「生活保障制度」としても機能しています。ひと昔前までは、結婚は女性の「永久就職」と言われていたのもそのためです。

 

夫婦でやりたいようにやることもできるが・・・

もちろん、性別分業によらずにやっていくことも可能です。

最近では、夫婦それぞれの意向・個性を尊重し、また、ときどきの夫婦の状況に合わせて「自分たちのやり方でやる」という夫婦も見られるようになってきました。

 

しかし、現行の日本の社会システムは、専業主婦世帯(あるいは、妻が夫の扶養の範囲で働く妻パートタイマー世帯)を「標準家族」として、税制、社会保険制度、賃金体系において優遇する仕組みになっています。

 

逆にいえば、性別分業に沿った暮らしをしない夫婦は、社会制度上、なにかとワリを食うようような仕組みになっています。

 

誰でも損はしたくないもの

したがって、最初、「自由にやりたいようにやっていこうね」とスタートした夫婦も、制度上、なるたけ損をしないように、損をしないようにと暮すうちに、気がついたら、意に反して、典型的な「標準家庭」になっていた、というようなことになり兼ねません。

 

なぜかといえば、たとえば、配偶者控除。これは夫婦のどちらか(通常妻である場合がほとんど)が年収103万円以下の場合、世帯主(通常、夫)の年収から38万円を差し引いて課税対象から外し、税負担を軽くする仕組みです。

 

この制度があるために、パートで働く主婦が収入を103万円以下に抑えようとします。

そのため、女性の就労拡大を阻むと問題視されてきました。

いわゆる“103万円の壁”問題です。

 

昨年(2016年)、「女性の活躍推進」を掲げる安部首相が、「女性が就業調整することを意識せずに働けるようにするなど、多様な働き方に中立的な仕組みを作る必要がある」と言い出し、撤廃も視野に見直しが始まります。

 

ところが、結局、撤廃ではなく、年収要件を「103万以下」から「150万円以下」に引き上げるという結論に落ち着きました。

選挙を控えて、専業主婦に嫌われたくないという思惑が働いたといわれています。

 

しかし、「壁を150万円に動かしたからといって、就労時間を大幅に増やす動きにはつながらない」と専門家は指摘します。

なぜなら、夫の会社から支給されている「家族手当」の対象から外れるほうが家計にとっては痛いので、結局は103万円以内で働こうとする女性が多いというのです。

 

また、家族手当のほかにも、第3号被保険者制度ももう1つの“壁”として立ちはだかります。

これではパートの妻は、“働き損”を避けるため、いつまでも家計補助程度の働き方しかできません。

妻の仕事がお小遣い程度の稼ぎにしかならないなら、基本、「夫=大黒柱」のスタイルを維持していかざるをえません。

 

このようにみてくると、専業主婦を優遇するこれらの制度は、「主婦優遇」どころか「年収100万女性」を量産する恐ろしい仕掛け、「女性の貧困化」への誘導役であることに気づきます。

一見、女性を保護しているようですが、実は「女の壁」となって女性の経済的自立を妨げてしまっています。

 

このように、現行の結婚という制度の問題点は、結婚することで女性が経済的弱者になってしまうことです。

 

それは結婚をめぐるこれらの制度だけが原因ではありません。

結婚することによって、また、子どもを産み育てることによって、「二流の働き手」になってしまうことです。

海外からも働くママ冷遇と批判

たとえば、幼い子どもを抱えるワーキングマザーの場合を考えてみましょう。

彼女は、保育園のお迎えの時間までには帰らなければならないので、残業ができません。また、子どもの病気その他の理由で欠勤が多くなりがちです。

 

当然、企業側から見たとき、このワーキングマザーは「二流の働き手」です。

すなわち、彼女の労働力としての価値は、そのような家庭負担を免れている男性社員に比べると格下。結果、小さな子どもがいて働く女性は、昇給・昇進から遠のきます。

海外からも日本は「働く母冷遇」と批判されているゆえんです。

 

かつて適応的だった日本の結婚制度が、今ではガラパゴス化

日本では、「家族」が成立した高度成長期以降、このような性別分業夫婦が二人の子どもを産む、そういったファミリーが理想あるいは典型とみなされてきました。

 

ところが、1990年代以降、経済状況が悪化するなか、夫婦ともに働く共働きが夫だけが働く専業主婦世帯を上回りました。

こうなると共働き世帯を標準・モデルにして制度運用されるべきなののです。

しかし、いまだそれがなされていない。

 

こうして現在、ガラパゴス化した結婚制度の元、さまざまな家族問題が生じています。

要は、「女性も稼げるようになり」「男性だけの収入では一家を養えなくなった」という変化に対応できていないのです。

 

強固な「男は仕事、女は家庭」という壁に囲まれた国日本で、その壁が制度疲労を起こし、あちこち穴があいて、ボロボロになっている状況といえます。

 

政府はあわてて「イクメン」を持ち上げたり、「女性活躍推進」を声高に騒いだり・・・

企業も「マタハラ」「パタハラ(バタニティーハラスメント)」を禁じたり・・・

巷では「ベビーカー問題」が物議をかもしたり日本中至るところで綻びが目立ちます。

 

しかし、制度が変わるのを待っていられません。

そこで、われわれの自衛策。

夫も妻もともに「稼ぎ手」の結婚生活を送る。そのほうがリッチに暮らせる。

また仮に不幸にして夫を亡くしたり夫と別れても、いきなり貧困状態に陥ったりはしません。

こうして妻が夫の稼ぎだけに頼らないことが、貧困化を免れる最大のリスクヘッジとなります。

【参考文献】

水無田気流 2015 「居場所」のない男、「時間」がない女 日本経済新聞社