長時間労働だけが原因か?

「イクメン」(育児をする男性)なる言葉が流行り、育休を取る男性も微増ながら増えてきています。しかし、日本の父親の育児参加はあまり進んでいません。国際的にみても最低レベルです

内閣府 https://www8.cao.go.jp/shoushi/shoushika/data/ottonokyouryoku.html】

なぜなのでしょうか? 理由として、まず挙げられるのは長時間労働です。
しかし、ここ数年、働き方改革で就業時間が短縮され、これまでより早く帰れる会社員も増えました。

しかし、それに伴って増えたのが「サラリーマン」ならぬ「フラリーマン」だとか。小さい子どもがいる家に帰っても大変なだけというのがその理由。外でフラフラお酒を飲んだりして子どもが寝る頃まで時間をつぶすのだとか。

もちろん、早く仕事が終わる分、できるだけ早く帰って孤軍奮闘している妻・母親のもとに駆け戻るサラリーマンもいるとは思います。
大勢いるとは思いたいですが、「フラリーマン」なるメディアの造語は、日本の家庭の“父親不在”の原因は、時間的・物理的間制約だけではないことを示しています。

そこで気になるのが、父親をめぐる一般的な考え方、「父親の出番は子どもが思春期になってから」「子どものことは母親の仕事」「子どもの養育より仕事のほうが大切」という考え方です。はたしてこの考え方は正しいのでしょうか?

子どもから見た父親の魅力

1980年代ごろから、国内外で父親についての研究が盛んに行われるようになります。このテーマに関連した研究を見てみましょう。小学生に父親がどのくらい家事や子どもの相手をしているかを聞き、その父親を評価してもらった研究(深谷、1996)があります。
これによると、家事や子どもへの関りを多くしているお父さんは、そうでない“不在がち”のお父さんに比べてあらゆる面で高く評価され、男児からは「(お父さんのように)なりたい」、女児からは「(お父さんのような人と)結婚したい」と答え、父親を魅力的な存在として認める傾向がみられました(家族心理学への招待、図19-1)。

一般的に私たちは好きで親しみを感じている人に対して評価が高く・甘くなりがちです、子どもの場合も父親が「父親だ」からではなく、日常的に「父親をして」くれていることがお父さんへの評価の基準になってようです。
また、進路や就職、友人関係、結婚などの相談を誰にするかについて、日米の青年を対象に調査した研究があります。
これによれば、米国では相談事項に応じて、父親が頻繁に相談相手に選ばれています。それに対して、日本では何事であれ、父親が相談相手に選ばれることが少ないのです。

ごく幼少期から「コンボイ(護衛船団)」を形成する子ども

日本の子どもたちが父親に魅力を感じにくい、あるいは相談相手に選ばない傾向があるのは、なぜなのでしょうか? 

この問題を考える上で、「コンボイ(護衛船団)」あるいは、それを構成する「重要な他者」という考え方が有効です。

1980年代くらいまで心理学で親子関係といえば、その中心は「母子関係」でした。母親が子どもといかに強い絆を結ぶかが何よりも大切だとされてきました。「愛着理論」です。
この理論では、子どもは母親との一対一の関係の中で母親への強い愛着を築き、この絆がその後の人間関係の基盤となると主張。ことさら母親の役割・責任の重要性が強調される一方、「父親の出番は子どもが思春期を迎えてから」と言われてきました。

ところが、最近、母親との関係が何よりも大切というわけではなく、また母親との一対一の関係だけでは不十分とする実証研究が数多く出されています。
それらの研究によれば、赤ちゃんはごく小さい頃から、複数の人に関心をもち、「愛着」の絆を結べることがわかってきました。赤ちゃんはそばから誰かがいなくなると、ぐずったり泣いたりしてその人の不在に抗議します。その人は赤ちゃんにとって大事な人であり、「愛着」の対象です。

どのような人が赤ちゃんの愛着の対象となるかについて観察・分析した研究によると、愛着対象は母親とは限らないのです。
年上のきょうだい、おじさん、よく遊びに来る近所の男の子、保育士などに、母親以上に強く愛着しているケースも少なくありませんでした。

子どもにとって愛着対象が一人では危険?!

赤ちゃんは自力では何もできない無力な存在です。だから「愛着」(他の人の力を利用・活用)することで、その無力さを補います。
しかし、一人の人だけを頼りにしていては危険です。そのため、複数の人の力を活用し、それらに守られ支えられて成長していくのです。

ある一歳の男児は、眠い時には母親に、壊れた玩具を直してもらう時には祖父に、仏壇に供えたおいしそうなお菓子をねだるのは祖父に、母親の不在時の代理には4歳年上の姉にと、それぞれの人ごとに異なった機能を期待し活用しています(注1)。
ちなみに、このケースでは父親はネットワークの圏外でした。おそらく父親は多忙で、子どもとの接触が少ないために、この男児には父親に何が期待できるのかわからない。したがって、あてにできず、「コンボイ」に入れられていないのでしょう。

赤ちゃんが自ら築いていくこうした社会的ネットワークは、「コンボイ(護衛船団)」と呼ばれています。コンボイは、赤ちゃんを周囲で見守り、必要になれば援助の手を差し伸べて支えることになります。赤ちゃんにとっては「重要な他者」群ともいえるでしょう。

仕事に追われ、子育てに関わらない・関われない父親は、子どもを経済的に扶養しているという面ではしっかりと役割を果たしています。しかし、残念なことに、それだけでは子どもは父親を魅力的な存在(「重要な他者」)だとは感じられないのです。
食事や遊びをともにする日々の経験を通してこそ、子どもは父親の魅力を発見し、父親の存在意味を実感できるのです。

父親の「出番」は思春期になってからでは遅すぎる!?

「コンボイ」の一員となっていない父親が、子どもが青年期になったからといって、「さて自分の出番だ」と急に現れても、子どもが素直に言うこと聞かないのは当然です。
「偉そうに父親面してウザイ」と疎んじる場合さえあるでしょう。「出番はあとで」「子どものことは母親の仕事」「子育てより仕事のほうが大切」などといっている間に、父親は家庭での存在感を失い、結果的に“あてにされない存在”、“疎まれる存在”となってしまう可能性が否定できません。

この点に関して、私には心に残る素敵なエピソードがあります。筆者が幼少期の子どもをもつ母親を対象に聞き取り調査を行っていた時のこと。
「ご主人は子育てにはどのように関わっていらっしゃいますか」とお聞きすると、Tさんはしばらく考え込んだあと、おもむろにこんな話をしてくださいました。

「私、(子どもが2歳と4歳くらいのとき)実は夫に言ったんです。『あなたとあなたのお父さんとの関係を見ていると不安になるって。よそよそしくってまるで他人同士・・・』

「私心配なの、今のまま(忙しく子どもとほとんど交流できない状態)だと(あなたと息子たちとの関係が)あんな感じになっちゃうんじゃないかって」。

「すると少しずつ変わってきたんです。最近では(子どもたちは小学校中学年と高学年)休みの日なんかパパの方がいいくらい」。奥さんの発言を真摯に受け止めたご主人は立派ですが、ご主人に心情を真摯に訴えたTさんも立派です。
それから10数年後久しぶりにお目にかかったTさんがおっしゃいました。「息子たちは、パパのことが今でも(思春期になった今でも)すごく好きです。いろいろ相談したり・・・。すごくいいと思います」と嬉しそうにおっしゃっていました。

Tさんのご主人は、息子さんたちの「コンボイ」の重要な一員になられたのですね。思春期になってからでは遅すぎでした。間に合って本当によかったです。


【参考文献】注1)高橋恵子『人間関係の心理学』東京大学出版会、2010