なぜヒトはオス(父親)も育児するの?

ヒト以外の多くの種ではオスは子育てをしません。
なぜヒトではオス(父親)が育児に関与するのでしょうか。この記事では、進化の視点からこの問題を考えてみたいと思います。

結論から先に言うと、ヒトのオスが親行動・子育てをするのは、人類の子育てが途方もなく大変だからです。人類固有の育児困難が、「父親」の登場を促したと考えられています

ヒト特有の育児困難とは?

ところで、人間の子どもはなぜ育てるのがこれほど大変なのでしょうか?
人間の進化の過程にその秘密があります。

人間の赤ちゃんの脳は、どのくらいあるかご存じですか?
生まれたときの脳の重さは、なんと大人の3分の1です。なぜ人間はそれほど未熟な脳をもって生まれてくるのでしょうか?
その理由は、私たち人類の進化と深い関係があります。

人類が誕生した700万年前、私たちの祖先は森を出て、草原へと進出しました。そして二足歩行を始めました。そのとき、体に大きな変化が起こります。図1は、二足歩行を始める前の私たちの祖先と、二足歩行を始めた人類の骨です。比べてみてください。ある個所に大きな違いがあることに気づきましたか?
図1
それは骨盤です。

骨盤の形が変わり、中央にある穴が小さく狭くなりました。実は、この穴は赤ちゃんが子宮から出てくるときに通る「産道」です。人間は、動物界で最も脳を大きく発達させた頭でっかちな動物です。

二足歩行によって産道が狭まってしまったため、人間の赤ちゃんは脳がまだ小さ
く未熟なうちに生まれてこざるを得なくなったのです(そうでないとこの世に出てこれない・・・)。

「生理的早産」のヒトの子―1年も早く胎外に

あと1年位胎内にいた方がよかった赤ちゃんが胎外に出てきてしまったという意味で、「生理的早産」、また、生後1年間は「胎外妊娠期間」といわれたりします。

脳が未熟であるがゆえ、筋力や睡眠のリズムなど基本的な体の機能も未熟です。歩けるようになるだけでも1年かかります。生まれてすぐに立ち上がり、自力で親のところにいってお乳を吸うウマなどの哺乳類の赤ちゃんと比べたとき、その未熟ぶりは歴然です。
人間の進化がもたらしたこの新生児の未熟さこそが、人間の親が大変な思いをして、長期間子育てをしていかなければならない理由です。こうして、人類は進化の過程で繁殖を有利に進めるため、「父親」を登場させざるを得なかったのです。

要するに、「父親」の登場は、人類の「繁殖戦略」だったのです。余談ながら、人間の最初の1年間は「胎外妊娠期」だからといって、胎外での1年間は意味がないということではありません。むしろ、反対です。この未熟さゆえ、大人の手厚い庇護が不可欠です。これにより、この1年間に赤ちゃんは周りの人々と深い愛情・信頼関係を築く能力を身につけます。(詳しくは別記事「赤ちゃんの戦略:周りに愛されネットワークを作る有能さ

人類本来の子育てって?

このように人類は進化を遂げたことで子育ての様相を一変させました。それはどのような子育てなのでしょうか?

この問いの答えを見つけるため、NHKの「ママたちが非常事態!?」取材班は、京都大学霊長類研究所の松沢哲郎さんを訪ねました。松沢さんは、以前、天才チンパンジーと話題になったアイ、アユム親子の育ての親であり、世界的に有名なチンパンジー研究者です。

ご存じのようにチンパンジーは地球上で最も人間に近い生物と言われています。しかし、チンパンジーと人間の子育てには、決定的な違いがあります。育てるのにかかりっきりのチンパンジーの母は、6年に一度しか出産できませんが、人間は毎年でも子どもを産むことができます。

松沢さんは「チンパンジーと人間が枝分かれした700万年前、子育てに大きな違いが生じたのだと思う。人間は新たな子育てを始めたことで、毎年でも子どもを産める体に変化したのではないかな。常に外敵に狙われるか弱い存在だった人類は、失われる多くの命を想定して、たくさんの子どもを産む必要があった」と述べています。

NHK取材班と松沢さんは、人類本来の子育てを訪ねて、アフリカ中部の国カメルーンのジャングル奥地に住む「バカ族」を取材しました(「バカ」とは、彼らの言葉で“止まり木”という意味です)。
首都ヤワンデから悪路につぐ悪路を車でひた走ること丸3日、「バカ族」の村に到着です。そこには、ものすごい数の子どもたちがいました。どこもかしこも子どもだらけ。一人の母親が10人以上もの子ども産むケースも。ほぼ毎年のペースで出産しているそうです。

「これこそ、人間の大きな特徴だよ。人間は、毎年子ども産めるからだになったからこそ、多くの子孫を残し、繁栄してこられた。バカ族をみると、そのことが本当によくわかるよね」と松沢さん。

しかし人類はいったい、どうやってこれほど多くの子どもを育ててきたのでしょうか?
そのヒントはバカ族の育児に隠されていました。「共同養育」です。
母親が抱いたり、母親のそばにいる子どもは、お乳が必要な乳飲み子やまだハイハイをしている幼児だけ。おぼつかない足取りでも歩ける子は母のもとを離れ、子ども同士で遊んだり、自由に歩き回ったり。
何か危ないことをやりそうな雰囲気になると、近くにいる大人がそれとなく叱って止めたり面倒を見たりしています。誰が誰の子かわらない状態。自分と他人の子の区別なく、大人なら誰の子でも世話をするというのが自然なこととして受け入れられているようです。

このようにみんなで協力して行う「共同養育」こそが、多くの子をちゃんを育てていくため、700万年前に私たちの祖先が獲得した人類の「子育て戦略」だったのでしょう。松沢さんのいう“人間本来”の育児の姿です。

かつては日本でも村中みんなで子育て

かつては、日本でも祖父母や近所の人など、母の育児を手助けする「共同養育」仲間が周りにたくさんいました。
しかし、ここ100年ほどの急速な核家族化、コミュニティの人間関係が希薄なったことなどによって、育児は今、「孤育て」「ワンオペ育児」ともいわれる状況となり、母親たちの7割が孤独感に苦しんでいると報告されています。

このような過去に類をみない育児困難状況のなか、父親の育児参加の必要性・重要性が盛んに唱えられています。が、母親の援助という文脈で語られることがほとんどです。

「父親」の子育て=生物としての最重要ミッションの遂行!?

しかし、人間の進化という視点から見たとき、父親が育児を行うのは、パートナーである母親のためである以上に父親自身のためでもあります。

実際、第2子については、父親が第1子のとき育児参加が高かった夫婦で産む割合が高まるといいます。つまり、父親はより多く子孫をこの世に残せます。
また、父親が育児に積極的にかかわるほど子どもたちが優れた能力を持った子に成長・発達することが明らかにされています。
これだけを見ても、ヒトのオスである男性の育児参加は、優れた子孫、己の遺伝子を残すという最重要ミッションの遂行です。つまり、生命体としての根源的な欲求の充足という実にチャレンジングな営みだといえるのではないでしょうか。

過去から未来に命をつなぐ永遠の営みの一部に!

いきなり人類だ、生物だ、と言われててもね~。そんなこと考えてみたこともないからね~と思われ方もいらっしゃるでしょう。でしたら、あなたがいまここに居て(生まれてきた)、子どもに恵まれていることの意味をいま一度考えてみてください。

己が子孫を残すこと、優れた子孫を残すこと、これらにまさる「あなたが生まれていきた意味」を実感させてくれるプロジェクトがほかにあるでしょうか?!
このように生命体としての人間という観点から子育てを考えたとき、男性の育児は、妻の援助でも父親としての義務でもなく、命をつなぐ壮大なロマンそのものといえるのではないでしょうか。 
【参考文献】
NHスペシャル取材班 ママたちが非常事態?!―最新科学で読み解くニッポンの子育て ポプラ社