女児願望が高まっていますが・・・

この記事では、「母親が重たい」と嘆き・訴える娘たちの声をとりあげます。 昨今、産むなら「女の子」がいいと思う親(特に母親)が増えています。社会経済状況の変化で、子どもに求めるものが「経済的」なものから「精神的」なものへ変わってきたためです(詳しくコチラ「子どもの価値」(3))。
特に、娘なら年取ってから頼りになる、寂しくないからという期待大です。

さて、望みかなって娘が産まれました。母親は娘の“しあわせ”を願い可愛がって育てました。そのかいあってか、母の願った通りの娘へと成長しました。

しかし、母と娘の物語は必ずしもここでハッピーエンドで終わるとは限りません。

過保護・過干渉の母親たち

おとなになった娘が自分の元から離れ独立していくのを認めず、いつまでも子どもの生活・生き方に干渉し保護し続ける母親がいます。娘は訴えます。
母親が重すぎると・・・


『母が重くてたまらない:墓守娘の嘆き』(信田さよ子、2008)
『シズコさん』(佐野洋子、2008)
『私は私。母は母。:あなたを苦しめる母親から自由になる本』(加藤伊都子、2012)
『母がしんどい:母のこと大嫌いでもいいですか?』(田房永子、2013)
『逃げたい娘 諦めない母』(朝倉真弓・信田さよ子、2016)
『お母さん、私を自由にして』(高橋リエ、2016)などなど。


ここまで母が嫌いか、娘たちと嘆きたくなるほどたくさんあります。これらの本はいずれも、子ども生きがいで生きてきた母親が成人してなお自分を縛る。
そんな母親から「解放されたい」「自由になりたい」、そう切実に願う娘たちの訴え・嘆きを取り上げています。

ネット上でも「母親 嫌い」「母親と合わない」「母親 ストレス」「母親 イライラ」「母親 過干渉」などの検索語を言えると20~30代娘の実母に対する悩みがものすごい量投稿されています。

娘を生きがいに生きてきた母 & 「その母を殺したくなっちゃう」自分に悩む娘

典型なケースをご紹介しましょう。
【ケースA】
ヒカルさん、20代後半、トップクラスの会社に就労中なれど退職を検討して来院

ヒカルさんは、超有名で就職偏差値のトップであるその会社を、ある日突然辞めたいと思った。しかし、どうしても決められないのでカウンセリングにやってきた。
ヒカルさんが、A中学に合格すると、母はまるで自分の人生の絶頂であるかのように狂気した。

「ママはね、この日を待っていたの。すべてこの日のために我慢してきたのよ」。

母はまるでオリンピックのマラソンでゴールインしたような表情をしていた。そうか、ゴールインしたのはママだったんだ。ヒカルさんはその時、何かが腑に落ちる気がした。・・・
中高一貫の6年間が難なく過ぎ、志望校を決める段になると、「文系だったらもちろんT大の法学部に決まっているでしょ」と母は言った。「司法試験を現役合格する割合も高いし・・・」
そして「何だかところてんが押し出されるみたいに、T大の法学部に入ってしまったんです」。
生まれて初めての母への抵抗は、司法試験を蹴ったことだった。
母をあきらめさせるために、約1年を要したという。
ある日、母が思いつめた顔でこう言った。「就職、どこにするつもり?」。
ベンチャー企業で働こうと思っていることを伝えると、母は蒼白になり、唇を震わせながら言った。
「許さないわよ、どうしてそんなこと・・・。先の見えない人生なんて送らせるわけにはいかないでしょ、いったい何のためにママが生きてきたと思ってるの。だめ、絶対だめよ」
涙を流しながらまくし立てるのだった。

それからは、母のシナリオとおりに動いた。そして冒頭の会社に就職。
「ときどき、夜中に目が覚めるんです。そんなとき、ふっと母を殺したくなっちゃう自分がいて、それがこわくて・・・」
と言いながら、ヒカルさんは激しく泣いた。


信田さよ子『母が重たくてたまらない』より

“愛情の押し売り”だったことに気づく場合も

子どもを生きがいに生きてきた母親が、子どもの「お荷物」になっています。
自立心が強く、自分から物理的にも心理的にも距離をとれる娘ならまだ救われます。問題は、娘に精神・経済的にもその力がなく家を出るに出られず摂食障害などに陥るケースです。
問題が生じてから、カウンセリングや心理相談に訪れる母親も少なくありません。
カウンセリングの過程でしだいに気づいてゆく母親もいます。
子どもは自分とは別個の人格。その子どもの人格を尊重すれば、親といえども期待の押し付けはできない。
これまでの自分の態度は、“愛情の押し売り”に過ぎなかった、“やさしい暴力”であったと。

母親自身の生き方・夫婦関係の見直し

しかし、それは同時に自分自身の生き方に見直しを迫られることとなります。自分の期待を子どもに実現してもらうことを楽しみとも生きがいともしてきたその生き方の修正が求められるのです。

多くの事例で印象的なのは、娘たちが
「母親ももっと外に出て、自分の好きなことをやってほしい」
と言っている点です。
母親がこんなに重いのは、母親が子ども以外の生きがい・世界をもっていないから、娘たちはおとなになるとそう問題の本質を鋭く見抜きます。
多くの母娘関係の病理をみてきた臨床家によれば、見直しを迫られるのは母親自身の生き方だけではありません。もう1つ重要なのは、夫婦関係の見直しです。
「母子密着」は、夫との折り合いが悪く夫から得られるべき情緒的満足が得られていないケースがほとんど。その心の隙間を子どもで埋めようとした結果である場合が多いようです。

母娘関係は「永遠のテーマ」?!

母娘問題でやっかいなのは、娘はいかに「母親が重い」「解放して」「自由にして」と願っても、その思いを母親に言えない、あるいは言ってもわかってもらえないことです。
母親としては娘の“しあわせ”を願ってやってきたこと、自分の「期待」を押し付けてきたとは微塵も思っていません。子育てとはそういうものだと信じて疑っていません。
娘も母のそんな思いを知っているので、
「もううんざり」「もうこれ以上はやめて!」
とは言い出せません。それを言ってしまえば、母のこれまでの人生を否定することになるのを知っているからです。優しいのです。
だから、娘が40代、50代、60代になっても母親との葛藤を抱えている女性は少なくないありません。

年老いた母との葛藤、いまだに

筆者もその一人です。80代になる母親との間にいまだに葛藤を抱えています。
私がまだ4歳のとき父親が重い病気で働けなくなってからの母の人生は過酷をきわめました。専業主婦が日本で一番多かった高度成長期、母は片時休まず働いていました。
それはほかでもない一人娘の私に「不自由しない生活」をさせ、「ちゃんと教育」を受けさせたいという一心からです。つまり、私は母の生きがいであり、生きる支えでもありました。
私が大学の進路選択をするときのことです。母には私にどうしてもなってほしい職業がありました。
薬剤師です。私が薬剤師になってくれれば薬局経営ができ、暮らしがラクになると考えたのです。
しかし、私は、薬剤師という仕事に関心をもてず向いているとも思えませんでした。そこで、激しいやりとりの末、私は別の学部を選びました。
そのこと自体後悔はしていません。ただ、母があれほど願った思いをかなえてあげられなかったことに対しては今でも「悪かったな~」との思いが棘となって残っています。

その母が、いまだに(というか歳をとったら一層)私に寄りかかってきます。
現在、ほぼ一か月周期で日本とフィリピンを行ったり来たりで仕事をしている私ですが、

「じゃあ、行ってくるね」と挨拶に行くと、「寂しくなっちゃうね~」といってさめざめと泣き出すことがあります。

そんなときは、とても後味の悪い旅立ちになってしまいます。

よりよい母娘関係のために

心理臨床の場で数々の家族問題の解決に取り組んだこられた女性のライフスタイル研究所で立命館大学教授の村本邦子氏が、次のように「よりよい母娘関係のために」と題して、母娘関係の特徴と問題点、解決法を整理しています。
  •  母親ばかりが子育てのほとんどを担っているため、母親の影響が絶大になる。
➡ 自分だけで子育てを担うのはやめよう!
  •  同性であるがゆえに、母親は娘に女性としての自分を投影しやすい。
➡ 娘は自分とは別個の存在であることを忘れないようにしよう!
  •  女性は他者の感情に敏感であるよう育てられるため、娘は母親のケア・テイカー(情緒的な世話役)になりやすい。
➡ 娘をケアー・テイカーにしない(小さな娘に自分の苦労や辛さを訴えることは控え、大変な時は、夫、友人など他の大人に援助を求めよう)
  •  母親は自己犠牲を求められるため、自分の人生を放棄して、娘に自分の代理を規定してしまう。
➡ 娘と代理人生を期待せず、自分の望みは、自分でかなえよう。

将来、娘に「母が重たい」なんて思われなくない

現在20~30代女性の母親たちは、いま以上に母親役割が重視・強調されてきた時代、仕事などの社会的活動に生きがいを見出しにくい時代に子育てをしてきました。ですから、自分の果たせなかった思いを娘に投影してしまいがち、結果、そんな母親が娘の重荷になりがちです。

しかし、母親が“毒母”になってしまうのは時代のせいばかりではありません。子どもとの近過ぎる距離感、夫婦の希薄な関係性という2つの条件がそろえば、数十年後のあなたの身にも起こり得ることです。

それにしても、こんなに一生懸命育てて可愛がっているのに、20年、30年たったら、娘に「母が重たい」なんて思われたくないわ~と思われるあなた、「予備軍」になっていないかを確認するためにも、上記アドバイスをもう一度、読みなおしてみてください。 【参考文献】 信田さよ子 2008(2012 第16刷) 母が重くてたまらない:墓守娘の嘆き 春秋社