育児は母親がすべきなのか?

「育児は母親がすべきものなのでしょうか?」


こう問われれば、ほとんどの日本人は「なにを当たり前な」と思われることでしょう。


しかし、世界的にも歴史的にも決して「当たり前」ではなかったのです。 今日は、そんなところから話を始めたいと思います。

筆者は、この6~7年フィリピンで仕事をしています。タイに半年ほど長期滞在したこともあります。そこで驚いたことは、母親がほとんど育児をしないことです。
「えっ、母親の役割って産み落とすだけ?!」と思うほど。

母親は外で(ときに海外まで行って)働くことが多く、祖父母やおじ・おば、いとこ、時に同居人が子どもの世話をしています。
大家族制のフィリピンでは、子守り(ヤヤ)が雇われていることもありますが、誰かが専属で子どもの世話をやくというより、その場にいる大人みんなが子どものことを気にかけ、必要があれば手をかす、言葉をかける、そんな「子育て」(?)がふつうです。


アジアの中で最も育児がしやすいと言われているシンガポールでは、メイドという職業が普及しているため、母親は家事育児をメイドに任せて産後4か月ほどで職場に復帰します。
米国も中流層以上では、移民のメイドを雇って子守りをさせ、母親は仕事を続けるケースがほとんどです。
共働きが普通の中国では、父親・母親がほぼ同じくらい家事育児を行います。
北欧でも共働きが一般的なので、希望すればゼロ歳児でも全員保育園に入れます。



「育児は母親がすべき」は日本特有、それも昭和以降の日本限定

このようにひとたび世界に目を向けてみると、「育児は母親がするもの」「母親が子どもを預けて働くのなら、それなりに責任を持つべき」いう考え方は、日本特有のものであることが分かります。

しかし、日本特有と言いましたが、日本も昔からそうだったわけではありません。
江戸時代などは、子どものしつけはむしろ父親の役割でした。当時、子どもは親の職業を継ぐのが一般的でしたので、子どもに仕事や学問の手ほどきをするのは父親の役割でした。

また、「父親は母親にかなわないのか!?」でご紹介したとおり、明治時代の森鴎外などは実にまめやかに子どもの面倒をみては可愛がっています。
また、当時は血縁・地縁が強かったので、子どもは親戚や近所のおじさん・おばさんなどの仕事・家事“ついで”に世話されながら大きくなりました。
そして、4歳、5歳にもなると世話する役を期待され、小さい弟や妹の世話をしながらいっしょに育っていきました。

私は自分の手で育てたい!

「他の国や日本の昔はそうだったかもしれないけど・・・、私は自分の手で育てたい!人に任せるのイヤ」という考える母親は少なからずいます。特に子どもが小さい間は育児メインで過ごしたい考える女性は多く、どんな生き方・暮らし方をするかは人・夫婦・家庭によって違ってしかるべきです。

では、なぜこんな話をするのでしょうか。
私は、ただ「育児は母親がするもの」「母親が子どもを預けて働くのならそれなりに責任を持つべき」という考え方は、決して昔からのものではなく、世界的にも当たり前のものではないという事実、そして重要なことは、
それでもちゃんと子どもは育つ、立派な大人になるという事実を知っていただければと思います。

そうすれば、日本の母親たちが現在肩に背負っている大きな荷物が少しは軽くなるのでは・・・。
「子育て中も仕事を続けたい」「仕事も家庭も大切にしたい」と思っている母親たちに自信をもっていただけるのでは・・・、そんな願いを込めています。

喜び以上に負担感・重圧感

筆者が初めて母親になったとき、もちろん子どもは可愛いし、かつて感じたことのない喜びを感じました。と同時に、「赤ちゃんがこんなに手のかかる大変なものだとは思っていなかった」というのも偽らざる思いでした。
こんな生活がこの先あと何年続くのかと暗たんとした気持ちにもなりました。
いったい、いつまで・・・
肉体的なしんどさはある程度理解していたつもりです。
しかし、この無力な命を私一人で(夫は居ましたが、なぜだか頼りなく感じてしまいました)守り抜かなければならない、いい子に育てなければと肩に力が入っていました。その心理的な負担感・精神的な重圧に心が折れそうでした。

周囲も「母親業」に全身全霊を傾けろとプレッシャーをかけてきます。医療従事者たちは子どもが風邪をひいても、言葉の発達が遅くても、「お母さんがもっと・・」とダメ出し。
保育園に通園するとなると「通園袋はお母さんの手作り!」で。
中学校に通うようになっても「お昼はお母さんの愛情弁当を」と母親への期待・プレッシャーはエンドレス。

母乳が一番だ、授乳中は赤ちゃんの目を見て、離乳食は手作りすべきた、
(仕事に戻ろうとすると)預けるのはかわいそうだとすさまじい社会のプレッシャーの前に激しく心揺さぶられ・葛藤を続ける自分がいました。

最も母親の負担が大きい国

育児言説の国際比較を行った論文によれば、日本の母親に要求される育児は

「先進国で最も手間数が多い」点と、「父親不在」が大きな特徴だそうです。
心理学者のスーザン・ハロウェイ(※2)は、文化と制度と個人の心理との関係から、日本の母に求められる役割規範について検証しています。

「日本の母親の育児は手間数が多く、それだけ諸外国に比べきめ細やかで、しばしば海外からは賞賛の対象となっている。だが当の日本の母親は、育児に不安を抱いている(育児を楽しめていない)という。」

さらにハロウェイは、日本社会がいかに母親の文化規範から逸脱した女性を批判するかは、「驚くほど」の水準と指摘しています。
子どもに何かあったときのインターネット上での母親への非難はすさまじい。そしてそのとき父親が何をしていたかは問われることがほとんどありません。
二十歳を超えた息子が薬物をやっても強姦容疑をかけられても、女優の母親は記者会見で謝罪し、舞台やテレビ出演を自粛します。

ノーモア、「母親一色」の生活・人生!

かつて筆者がそうであったように、具体的に何を言われたからというわけではなくとも、母は母の役割に縛られていきます。
水無田(※1)は、こうした女性自身が自分を自分で縛っていく状況を「魔法の呪文」と呼び、「魔法の呪文」から解き放たれる重要性を強調しています。

では、「魔法の呪文」を解くカギはどこにあるのでしょうか?
その鍵は、自分のなかの「母親度」を下げていくことではないでしょうか?
冒頭でみたように、母親だからメインで「親をする」する状況、あるいは女性自身が自分を母親役割で縛っていく状況は世界的にも歴史的にも決して「当たり前」ではありません。

だから、日本の一母親である私も常に「子育てファースト」はやめ、「母親一色」の生活・人生にしない。
すると、母親なんだからこのくらいは頑張らなくっちゃと思うご自身の要求水準がグンとさがる。肩の力が抜け、子育てがもっと楽で楽しいものになるになるのではないかと思います。

「イイ加減でやっていこう!」

言葉はやや悪いかもしれませんが、妻であったり、仕事をする人であったり、娘であったりする私とのバランスを保ちながら、「イイ加減」でやっていく。
私は私のやり方で子どもを愛し育てていく。母親役割から一歩距離をおき、母親としての自分の不完全さに寛容になる、そんなところから「魔法の呪文」は少しずつ解けていくのではないでしょうか。

成人した息子・娘に、あなたが母親だからではなく、
「一人の魅力的な女性・人だから好き!」、愛し慕われる、そんな女性・人間を目指してみませんか?!

【参考】 ※1)水無田気流「居場所」のない男、「時間」がない女 2015 日本経済新聞出版社 ※2)S・D ハロウェイ(高橋登ほか訳) 少子化時代の「良妻賢母」 2014 日本経済新聞社