お父さん=雷?!

「地震、雷、火事、オヤジ」という言い方をご存じですか?


そう、かつて(今から50年位前まで)日本ではお父さんというのは、「地震、雷、火事」と同じくらい、子どもたちに恐れられる存在でした。
ところが最近はいかがでしょうか?

お父さん=雷? ノー、ノーですね。父親の一般的イメージはずいぶん変わりました。
1980年代以降、欧米諸国を中心に、“厳父”、“こわくて強い父親”(一家の稼ぎ手、モラルの伝承者)に代わって,子どもの養育に積極的に深く関わる“優しい父親”が出現します。 父親はもはや“かみなりオヤジ”などではなく、

“養育する父親(nurturant father)”,“ケアする父親(caring father)”という新しい文化的イメージで扱われるようになってきています。

日本でも「イクメン」登場

日本でも同様です。この新しい父親像イメージは、「イクメン」によく表れています。

街中でも一人で赤ちゃんを抱っこしたりベビーカーを押しているパパが増えてきています。

旭化成ホームズ・共働き家族研究所が妻がフルタイムで働く夫を対象にして行った調査(2014)によれば、たとえば、保育園・幼稚園・学校への送り迎えは7割近く、子どもが病気お時に仕事を休むことは6割近くが実行。
共働きで妻がフルタイムのような家庭では、「イクメン」が根付きはじめているようです。
しかしながら、それでもやっぱり、「父親がどんなにがんばっても、母親にはかなわない」という言い方がされるときがあります。
父親と母親の役割は本質的に異なるという意見・考え方です。これは本当なのでしょうか?この

父親としての森鴎外

テーマについて考える前に、まず、興味深い例を紹介したいと思います。
明治の文豪であり軍医でもあった森鷗外の子育てぶりです。
鴎外は、多忙な公務と著作活動の中でも、父親として子どもたちと日々細やかな交流をしました。 その様子が子どもたちによって記されています。

三男の類は、夜中にトイレに付き添ってくれ、トイレの外で待ったいてくれたこと、しかも失敗すると拭いてくれた、などと記しています。
長女の茉莉は、不得手な勉強をみてくれたことや、あやとりの相手をしてくれたこと、服やアクセサリーを選んでくらたことなどを記しています。
そして、ことあるごとに「お茉莉は上等」とほめてくれたといいます。

実に細やかに暖かく「親をする」鴎外の姿が印象的です。

どの子どもたちも、父親を官位や作家としての地位ゆえに偉いとみるのではなく、細やかに「親をする」父親の姿を胸に刻んでいます。

子どもを上から押さえつけるように指示・統制するのではなく、子どもの育ちを見守り、日常の世話をする、そして「それでいいんだ」「上等だ」と暖かく受容する。
そうした姿勢は、当時もてはやされていた“厳父”とは程遠いものです。

父親も子育てメインかサブでこんなに違う

冒頭の父親像の変化で述べたとおり、これまで父親には母親とは異なる父親独自の役割を強調されてきました。父親は厳しくしつけ、母親は優しくなだめることが男親と女親の特徴であり、存在意味だと考えられてきました。

そんな中で、アメリカの発達心理学者フィールドは大変興味深い研究データを提示して、こうした考え方に異議を唱えました。
それまでは単純に父親と母親を比べて、母親のほうが子にやさしく笑いかけ応答的であるという結果が出されてきました。
ところが、フィールドは、育児のメインな担い手(通常は母親がしていることが多い)である父親とそうでない(サブ的・補助的役割)父親とを比較しました。

するとメインとサブの父親との間に驚くべき育児行動の違いがみられました。 メインで育児を担っている父親は話しかけや微笑など、通常の母親に近い行動をとっていたのです。

つまり、「なんといっても母親にはかなわない」という言説は、必ずしも正しくないことを明らかにしました。

育児をメインで行う父親はお姉言葉に?!

子どもに話す場合に、声が少し高くなったり、抑揚をつけたり、語尾を変えるなど、独特の話し方がなされます。
これはマザーリース(母親語、育児語)と呼ばれています。
この種の表現が、父親が子育ての第一責任者になった場合には、そうでない父親・男性よりもずっと多く、母親と匹敵するほどになっています。

育休を取って双子の育児に奮闘した墨さん(※1)は、子どもに話しかけるとき「ちんごちゃん(慎吾)」「パイパイのも~ね~」といった具合に自分がいつのまにか「お姉言葉」を話している自分に気づいたそうです。

子育ての第一責任者として頻繁に子どもの世話をしていると、どのような声や表情が子どもの注意を向けされることができ、喜ばせられるかを体得するのでしょう。このことは、第二子の子育てが第一子の時よりも上手いことからもわかるでしょう。

父親・男性も経験を通して「愛情深い子育て」ができるように

これらのことは、養育のスキルが女性だけに本来備わっているのではないことを示しています。むしろ、このように子育ての経験は子への温かく適切な態度や感受性を育むのでしょう。そして、それは男性・父親も例外でないのです。

母親であっても最初から育児が上手なわけではないのです。失敗や工夫を重ねながら、子どもが求め喜ぶ対応の仕方を体得していきます。
通常、「母親にはかなわない」と言われるように、母親の方が愛情深い子育てができるのは、女性だからではなく、経験の差です。
森鴎外の例然り、これらの研究は、「かなわない」と言われる母親の子どもへの態度・行動は、本能といえるようなものでないこと、経験をつめば、男性だって十分、素敵な父親になれることを教えてくれます。
父親も「母親に十分かなう」あるいはときに「母親以上にかなう」とさえいえます。

※1墨威宏「僕らのふたご戦争」