私は7年ほど前にフィリピンで英語学校(ウィル・イングリッシュ・アカデミー)を開設、その後、フィリピン人やフィリピンの生活に身近に触れてきました。この記事では、日本とフィリピンの子育て、こんなに違うという話をします。

文化、歴史、社会制度、経済水準が異なる日本とフィリピン、違って当たり前です。安易な比較は意味がありません。しかし、両国の子育てを「生存戦略」という視点からみてみると、フィリピンで人口が急増し、日本で人口が急減している理由が面白いほどクリアになります。

このままでは「日本消滅」?!

ご存じのとおり、日本は人口急減社会です。2019年、とうとう出生数が90万人を割れてしまいました。政府予測よりも2年も早い90万人割れです。ハイペースな少子化の進行で「日本消滅」が現実味を帯びてきてしまいました。

このままでは、年金制度の破綻、労働力不足、国内市場の縮小、都市のスラム化、治安の悪化、税収減による公共サービス低下などが避けられず、日本の特徴であった「便利・安全・安心」の暮らしが維持できなくなると言われています。「消滅」は免れても、あと数十年で先進国から転落することはほぼ間違いありません。

日々の暮らしを見れば、非正規雇用が増え、低賃金や長時間労働が蔓延、特に若い世代の人たちの生活はますます過酷さを増しています。育児の当事者の間では、産後クライシス、産後うつ、ワンオペ育児、待機児童問題などなど、子どもを産み育てることに喜びを感じられない状況が広がっています。

「人口ボーナス」で経済躍進中のフィリピン

一方、フィリピンは経済が発展し続けています。この背景には「人口ボーナス」(総人口に占める働く人の割合が上昇し、経済成長が促進されること)があります。下の「人口ピラミッド」をご覧ください。惚れ惚れするような安定感のある三角形です
人口ピラミッド
経済成長率はここ数年6~7%で推移しており、調査会社オックスフォード・エコノミクスが2019年に発表した「世界の経済成長に影響を及ぼす新興経済国」では、なんとインドにつく世界第2位にランキングされています!

子どもと若い人であふれかえるフィリピンから高齢者ばかりが目立つ日本に帰ってくると、日本のジリ貧感が半端ではありません。フィリピンの平均年齢は24.3歳、日本の平均年齢は46.7歳。もうほとんど親と子の年齢差。若い国と老いた国では、街の活気が違います。思い描ける未来の色が違います。

子どもを産み育てることに「夢」をもてない社会、日本

日本では、少子化に危機感を強めた厚生労働省が“子どもを産み育てることに「夢」を持てる社会を”(厚生白書、1998)と謳いあげました。しかし、20年経ったいま、実現どころか、目標から遠のいています。

私は、超少子高齢化で現役世代と高齢世代の人口アンバランスが著しくなること自体よりも、いま日本が子どもを産み育てることに夢・喜びを感じられない社会になってしまっていることに一層問題を感じています。とても悲しいことだと思います。

たとえば、つい最近結婚したばかりの息子(31歳)がぼやいていました。
「友達の話だけどさ~、子どもが生まれたらうまくいかなくなって離婚しちゃったんだ。子どもが産まれるまでは本当に仲良くていい感じの夫婦だったのに・・・。そんなの聞くと、(自分たちも)子どもを産んで大丈夫か~って思っちゃうんだよね~」。

既婚女性・ワーキングママの家事育児負担が大きすぎて、女性たちの「子ども(産むの)、どうしよう?」「産んでも保育所入れなかったらどうしよう?」の迷い・葛藤は深刻です。なかなか産む覚悟ができずに、産み控え・産み伸ばし。
夫婦の理想子ども数は2.32人と先進国の中で多い方。しかし、現実の合計特殊出生率(一人の女性が生涯に産む子どもの数)はたったの1.43人。

「子どもを産み育ててほしい」と思いますが・・・

私事で恐縮ですが、私は、三人の子ども(うち二人は双子)を産み育てました。大変でした。肉体的にきつかったというのもありますが、それ以上に「私だって、○○がしたい」の葛藤に苦しみました。

この○○に入るのは、「トイレくらいゆっくりしたい」「(1~1.5時間おきに双子の授乳をしていた頃は)せめて2時間続けて寝たい」「座って新聞が読みたい」「仕事がしたい」「自分のことがしたい」などなど、軽重さまざまな自己欲求でした。

ただこんな心理的・精神的な葛藤に苦しみつつも、全幅の信頼を一途に寄せてくる子どもの存在は愛しく、子育ては何ものにも代えがたい体験でした。
それだけに、子育てに不安を感じている若い世代の人たちにも、ぜひ産み育ててほしいと思います。日本の未来を救うためではなく、自分(たち)のかけがえのない人生体験として。
しかし、残念なことに、いまの日本では迷っている彼・彼女らに向かって、「大丈夫よ」「なんとかなるわよ」なんて、とてもじゃないけど言えません。

フィリピンでは子どもを産み育てても生活が一変しない

一方、フィリピンは「子育てパラダイス」です。産後クライシスなし、ワンオペなし、待機児童問題もなし、超絶イージーです。大家族のフィリピンでは、祖父母、おじ、おば、いとこ、近所のおじちゃん、おばちゃんなどみんなで子どもの面倒をみます。

何より驚いたのは、「母親が子育てすべし」の規範がないことでした。ですから、子どもが産まれても母親の生活が一変することはありません。私を子育て期に悩ませた葛藤もほとんどありません。

一言でいうと、子どもから「自由」。子どもが産まれてから大学院に行ったり、海外に働きに出たり、そのため、実家や親せきの家にずっと預けっぱなしなんてことも一般的です。家族や近所の人を含め、面倒をみれる人が、みれる時に、みれる範囲でやればいいと考えています。日本のように子どもが生まれるとすべてが「子ども中心」「子ども優先」になってしまうことはありません。

私が経営している英語学校の女性教師E先生(事実婚、2歳児の母)などは、「日曜日、子どもの世話は私のTurn(順番)なの~」「だから日曜日はすごく大変~」と肩をすくめて笑っています。「Turn(順番)」ですよ、「Turn(順番)」?! ひとごと感、満載。こんな呑気なママたちをみると、「フィリピンの母親って、もしかして産むだけ?」と突っ込みたくなります。
家族みんなで子育て♪

「結婚」という枠からも自由

また、法的に離婚が禁止されているせいなのか、女性が経済的に自立しているからなのか、結婚の形より愛し合っている事実それ自体を重視するからなのか(フィリピン人は実はとても恋愛体質!)、「事実婚」を選択するカップルがかなり多い印象です。このことも子産み子育てへのハードルを低くしています。

当校には子持ちの女性教師が4人いますが、初婚・再婚も含めて全員が事実婚です。ご存じのとおり、現在、スウェーデン、フランスなどでは産まれてくる子どもの半数以上が事実婚カップルから生まれてきますが、それに近い感じです。この点も、妊娠したら慌てて結婚する「できちゃった婚」が多い日本とは大きく異なります。

産まれてきた子どもの父親といっしょになるのかと思いきや、その子どもを連れて別のボーイフレンドと一緒に住む(同棲か結婚かは定かではありません)。そんなときも、周りから「母親なのに~」「子どもかわいそう~」的な批判・非難の声は聞かれません。

さらには、日本的には育てる必要・責任もない子ども、例えば元夫の連れ子(14歳)を別れた後も(今の彼氏との間にできた)子どもたちといっしょに育てていたりもします。「なんで~?」と驚いて聞くと、「その子が(本当の父親の元で暮らすのは)いやだって言うのよ~」とこともなさげ。
いやはやフィリピンの子育ては、なんでもアリの様相を呈していて、頭がくらくらします。

「近代家族」の特殊な子育て

ところで、日本では当たり前になっている「親(とりわけ母親)だけが子育てする」ですが、世界的・歴史的には当たり前でもなんでもありません。社会学では「近代家族」(注1)と呼ばれている家族の「特殊」な子育てです。

本来、「村中みんなで子育て」の言葉とおり、大勢で行うのが人類の子育てでした。それほどヒトの乳幼児は手のかかる存在。生物である「ヒト」として、一人二人では無理があるのです。にもかかわらず、親(とりわけ母親)だけがワンオペで行わざるをえないのが「近代家族」の子育てです。

子どもへの責任を一身に担わされる親が肉体的・心理的・経済的に追い詰められるのは当然と言えるでしょう。

注1)
「近代家族」は産業革命以降に西洋で出現し、日本では1960年代の高度経済成長期にサラリーマン家庭に普及した家族様式です。この家族は人類に普遍・不変のものではなく、世界的には地域(欧米、日本など)限定的、歴史的にはせいぜい300年、日本ではたかだか80年の歴史しかもたない「特殊」な家族です

社会全体が子育てに対して寛容

フィリピンでは、親だけが子育て責任を負わない感覚は、街でも同じ。街中のレストランに赤ちゃん連れでいくと、店員さんが「かっわいいい~」と寄ってきます。「私が抱っこしてるから、ゆっくり食べて!」ともう赤ちゃんに夢中。他の店員さんたちも集まってきて「私にも」「僕にも」と可愛いベービー争奪戦のような微笑ましい光景に。

それに対して、日本では「なんで?」「どうしちゃったの?」と悲しくなるニュースばかりです。電車にベビーカーをもって入ると蹴ったり舌打ちされる。新しい保育園を建設しようとすると、周辺住民から反対の声があがる。「ガキ邪魔なんだよ、家に引っ込んでろ」コールが幅を利かせています。
周囲からの白い目・・・
もちろん、フィリピンにも子育ての問題はあります。主に貧困からくる虐待や非行(窃盗、薬物使用)などです。しかし、フィリピン人は自分の子・他人の子にかかわらず、大の子ども好き。子ども連れの人に対しても、暖かく優しい印象です。 行政も無償で通える保育園を整備していたり、公立だったら大学まで授業料は無料だったりと、国をあげて子どもをウェルカムしています。本当に「子育てパラダイス」です。

フィリピンの子育ては優れた「生存戦略」

以上、フィリピンと日本の子育てを見てきました。フィリピンの子育ては、日本のそれに比べたら、はるかに楽です。子育てによって親(とりわけ母親)が犠牲にするものは日本に比べてはるかに小さい。

その上、「『生存戦略』としての子育て【2】―“見返り”の大きいフィリピンの子育て vs “見返り”の小さい日本の子育て」に詳しく述べますが、実は、見返りも大きい。“楽なのに見返りが大きい”。子育てをしない手はないですね。フィリピン人にとって子育ては優れた「生存戦略」です。

ここで「生存戦略」とは、読んで字のごとし、生きていくための優れた方法、よりよく生きていくための方法といった意味です。人はある行動(たとえば、子どもを産み育てる)を選択するとき、自分にとってプラスになるか、マイナスになるかを比較考量して、よりよく生きられる、より幸せに生きられる方を選択します。

この意味で、現在の日本の子育ては「生存戦略」として大いに疑問符がつきます。このあたりをさらに「『生存戦略』としての子育て【2】―“見返り”の大きいフィリピンの子育て vs “見返り”の小さい日本の子育て」で見てみることにしましょう。