母性愛は本能なのでしょうか? 子どもを産んだ女性なら誰でも自然に無私無償の愛で子どもを包み込めるのでしょうか? 

「“母性”って?:私には“母性”がないんじゃないか疑惑」では、いやそうではない、本能ではなく産んだのち育まれる人間愛であるという話をしました。
ではなぜ「母性愛」は本能であるかのように信じられるようになったのでしょうか。

この記事では、その経緯をみていきたいと思います。まず、「母性愛」が発揮されるべき「家族」というものについて、それがどのように成立してきたかについてみてみたいと思います。

「家族」が成立したのは比較的最近のこと

「家族」は、私たちにとってあまりにも身近な存在です。そのため、家族はずっと昔から今のようなかたちと機能を持っていたと思われがちです。
父親はもっぱら仕事をして家族を養い、母親は家の中での仕事を中心にし、子どもは両親の愛情を一身に浴び、親子、夫婦は、互いに深い絆で結ばれている。家族とはそういうものだと思っている人が多いのではないでしょうか。

しかし、20世紀後半に盛んになった社会史研究は、私たちが一般的に思い描くこうした家族観あるいは家族イメージは、たかだか西欧では200年少し日本では70年ほどの歴史しかもっていないことを見出しています(日本については「家事育児=女性はなぜ?」)。

1930年ごろフランスを中心に始まったアナール派は、これまで歴史の表舞台に登場することのなかった庶民、女性、子どもたちの生活やその心性などを当時の人たちの絵画、カレンダー、あるいは教会の教区簿、墓碑などの分析を通して明らかにしようとしました。
こうした研究の代表的著作として世界的に有名になったのが、生活史家F・アリエス(1980)が著した『<子供>の誕生』という本です。これは、私たちの家族観・家族イメージにコペルニクス転回をもたらした画期的な著作です。

<子ども>の誕生?:それ以前は「大人のミニチュア」!

『<子供>の誕生』というタイトルを見て、お産の話?と思われた方もいらっしゃるのではないでしょうか。
実は、これはお産についての本ではなく、「子ども」というものが近代になった初めて「誕生」、「発見」されたものであると述べている本です。
人類史上子どもが居なかった時代などなかったはず・・・なのに、何を改めて「誕生」「発見」などという言葉を使うのでしょうか?

アリエスによれば、確かに、現在、私たちが子どもと呼んでいる者たちは存在していた、しかし、近代を迎えるまでは「子ども」という概念・言葉がなかったというのです。
もう少しわかりやすくいうと、近代になって初めて「子ども」が大人とは違う独自の存在とみなされるようになった。大人とは異なる特別の扱いを受けるべき存在とみなされ、「子どもらしさ」の価値が強調されるようになったというのです。

概念・言葉とは不思議なものです。たとえば、昔から妻に暴力を振るう夫は居ました。しかし、DV(家庭内暴力)という言葉が普及して初めて、この行為が問題視され犯罪とみなされにようになります。“犬も食わない”夫婦喧嘩で片づけられてたことが可視化・見える化したわけです。

“子どもの誕生”もこれに似ています。図1にあるように、子どもが大人の縮図ではないことは外見からみても明らか。しかし、「子ども」という概念・言葉がなかった近世以前のおとなにとっては、子どもはおとなの「ミニチュア」「できそこない」に見えていた、あるいはみなされていました。

図2をご覧ください。17世紀の末に描かれた8歳の王女の絵画です。子どもなのに頭がやけに小さいことに気づかれるでしょう。図1からも明らかな通り、8歳ならまだ六頭身くらいですが、完全に八頭身です。衣装も「子どもらしさ」はどこにも感じられません。
図2 王女マルガリータ
この絵からは、「子ども」が誕生・発見される以前の大人にとって、子どもが大人より小粒・(子ども服など)特別な扱いを要しない存在とみなされていたことがよく読み取れます。

母親は子どもに無関心

実際、200年ほど前の西洋では、母親は子育てに無関心だったといわれています。
18世紀以前の上流階層の女性たちにとっては恋愛が最大の関心事。女性たちは知識と教養を身につけて男性の関心を集め、殿方の愛情を得ることに夢中だったといわれています。
19世紀のフランスでは、捨て子・里子が農民以外のあらゆる階層に広まり、産んだ母の手元で育った子は10%にも満たなかったと報告されています。
そのうえ医療も未発達でしたので、幼児死亡率は非常に高く、当時のパリでは、1歳までに25%、10歳までに50%の子が死亡しています。
親たちが子どもを冷淡に扱った理由の1つは、子どもが幼くして死亡してしまったときの悲しみから自らを守るためだったともいわれています。

子どもは「近代家族」の中心に

しかしながら、産業革命の進行によって、子どもが社会にとって有用なものであるという認識が広がり、きちんと養育・教育すべき対象であるという認識がなされるようになりました。
18世紀、哲学者ルソーは、「エミール」という教育論を著し、「子ども」は大人にない独自の価値をもつので、教育の対象にすべきであると主張します。
こうした認識・主張は、子ども生活全般にわたる変化をもたらし、子どもは大人の保護・養育、さらに長じては教育の対象になりました。
「子どもの誕生」が画期的なのは、ただ単に子どもという概念が成立したことにとどまらず、子どもという存在を中心に「近代家族」が成立していった点です。

すでにお気づきのように、それ以前の伝統社会では「子ども」が居なかったのですから、当然、子育てを中心になって担うべき人の存在も必要ありませんでした。
ところが「子ども」の誕生・発見によって、以前よりはるかに大きな負担、多くの時間やエネルギー、心くばりや関心が、子どもの世話を担当する人間に要求されるようになります。そして、その担当者として母親が選ばれたのでした。

ここで興味深いのは、今から100年ほど前の20世紀初頭、当時の女性たちが子育てを押し付けられることへの不満の声があげられていること。他の生きがいを諦めてまで子育てに専念しなければならないのかという疑問・の不満の声です。

「女たちにとっては子どもを産むこと自体大変なのに、その上、世間にはその代償として他のあらゆる生きがいを諦めさせようとする(ベドビィヒ・ドーム1903)」
子どもが近代家族のなかで中心的位置を占めるようになるにつれて、このような不満の声を抑え、女性たちに自発的に幼児の養育に心を傾けてもらう必要性が高まっていきます。
こうして「母性愛」がしだいに強調されるようになっていきます。こうして母親の子どもに対する献身的な愛情、純粋無垢な母性愛は崇高で気高いものである、そしてそれに殉ずることこそが女性の本分・幸せであるという「母性神話」が出現・強調されるようになっていったといわれています。

この神話は、女性たちが生きがいと喜びをもって子育てに臨み、高い教育を受けた有為な人材を社会に供給するうえで非常に意義の高いものでした。
しかしながら、同時にそれは子を産んだ女性たちの人生を拘束し、生活を制約することにもつながりました。
あるいは、そうすることを正当化・強制する言説として女性を不当に苦しめるものとして作用した/していることを忘れてはならないと思います。


【参考文献】
・フィリップ・アリエス 1980 『<子供>の誕生―アンシャンレジーム期の子供と家族生活』 みすず書房
・エリザベート・バタンテール 1981 『プラス・ラブー母性本能という神話の終焉』 筑摩書房
・柏木恵子・大野祥子・平山順子 2006 『家族心理学への招待―今、日本の家族は? 家族の未来は?』 ミネルヴァ書房