「やさしい暴力」って何?
「やさしい暴力」って言葉、聞いたことがありますか?
親が子どものために、「よかれ」と思ってやっていることが、子どもにとっては「迷惑」だったり、「プレッシャー」だったりする。
けれども子どもとしては、親が「よかれ」と思ってやっていると知っているだけに、正面切って「やめて!」とは言えない。
多かれ少なかれ親と子の間では、こんなことってあるのではないでしょうか。
「少なく生んで、よく育てる」戦略をとるようになった現代の子育て、親はいい子・優れた子に育てたいと思うのは当然のこと。
ただ問題は、ときとしてそれが子どもの気質・個性を十分理解・考慮しない一方的なものになってしてしまうことです。
子どもへの期待が子どもを育てる
ここで決め手となるのは、子どもへの期待です。
子どもが生まれたとき、親となった人はだれしも子どもに対して夢や期待を抱きます。
こんな子どもであってほしい、こんなこともできるようにしてあげよう、さらにはもっと先の子どもの将来にまで思いを馳せます。
こんな職業についてほしい、結婚相手はこんな人であってほしいなどなど、あれこれ想像し期待を膨らませるのが親というもの。
親ならではの子どもに寄せる熱い期待があってこそ、子どもは暖かく守られて育ってゆきます。
期待が高すぎても
しかし、子どもへの期待は高ければ高いほどよいということではありません。
親の期待が子どもの個性や子ども自身の意欲を無視して一方的な押し付けになると、かえってマイナスの影響を与えることになります。
「これぐらいの大学にいってほしい」「こういう職業についてほしい」といった親の願いは、親としては無理からぬことですが、しかしそれはあくまで親の夢。
親が子どもを通して自分の「自己実現」は果たそうとするとき、子どもが苦しむことにもなりかねません。
子どもを育てるのは、 遺伝? or 環境?
ところで、何が人を育てるのでしょうか?
この問いは、長い間、世界中の教育者や心理学者の関心を集めてきました。
20世紀唱えられた説に、次の2つがあります。
「遺伝説」と「環境」です。
遺伝説は、すべて遺伝(最近ではDNAと言われることが多い)によって決まるという説。
環境説は、人の発達はその人が置かれている環境によって決まってくるという説です。
みなさんは、どちらの説が正しいと思いますか?
人の発達には、遺伝と環境どっちも大事
最近では、相互作用説が有力です。
遺伝と環境が相互に作用しあってその人の性格・能力などが形成されるという考え方です。
例でご説明しましょう。
音楽家の家系にはやはり音楽家が多く輩出されます。
なぜでしょうか?
遺伝説によれば、優れた音楽的才能をもつDNAを親から引き継いだから。
環境説によれば、豊かな音楽的環境のなかで育ったので、音楽的才能が育まれた。
相互作用説によれば、優れた音楽的遺伝子を親から受け継いだ子が、優れた音楽的環境のなかで育ったので、親から受け継いだ潜在的な才能が開花した、という解釈をします。
いくら優れた環境を与えても期待される能力が伸びない場合もあるということになります。
いかがでしょうか?
遺伝も環境もどちらも大事。
この説(相互作用説)が一番説得力あるように思えます。
日本では「環境説」が優勢?
ところが、日本では、どちらかというと「環境説」に立つ教育者や親が多いようです。
子どもに向かって、“夢に向かってがんばれば必ず夢は叶う的”発言が目立ちます。
「亮くん」・「圭くん」に続けと、子どもに海外スポーツ留学をさせる親も増えています。
しかし、ほとんどが挫折し夢破れて帰ってくる、帰ってきてからが悲惨という話を聞きます。
もちろん、親が子どもに夢を託したというより、きっとそれを子どもが望んだのでしょう。
でも親が子どもの能力、適性を見極め、ときに踏みとどまらせる勇気をもつことも必要なのではないでしょうか。
一卵性双生児は同じDNAをもって生まれてくるので、よくどこまでが遺伝の影響かという研究の対象にされます。
それらの研究によると、運動能力、芸術(音楽、絵画など)の才能などは遺伝的要因がきわめて大きい領域のようです。
このことは、ただ環境を与えるだけでは、世界的にバイオリニストやオリンピック選手にはなれないことを示唆しています。
「どの子も育つ」と信じ「やさしい暴力」を振るった過去
筆者には苦い経験があります。
長女が3歳になったとき、なにを血迷ったか、娘には将来バイオリンを趣味とするような優雅な人間(?)に育ってほしいという夢を抱きました。
そこで選んだのが、スズキメソッドです。
スズキメソッドは「良い音楽を何度も何度も繰り返し耳にするうちに、自然に音楽的がセンスがどの子にも育ちます」という理念のもと音楽を通した子どもの才能開発を提唱している教育機関です。
しかし、ほどなくして娘がレッスンに通うのを嫌がるようになりました。
わずか1年ほどでその夢も消えました。
「どの子も育つ」わけないんです、だって親が音楽的才能ゼロなんですから(笑)。
せめてもの救いは、早目に見切りをつけたことでした。
もし無理に続けさせていたら、音楽嫌いの子に育ってしまっていたことでしょう。
少子化にともなう親の過重な期待は、こうして「やさしい暴力」となります。
こうした暴力が成人後まで続き、「母が重たい」と娘たちを悩ますケースが急増しています。これについては、コチラ<「母が重たい娘たち」>をご覧ください。
【参考文献】
柏木恵子 1995 親の発達心理学:今、よい親とはなにか 岩波書店