日本の母親が危ない

昨今、「子育てが楽しくない」、「なんとなくイライラ」、「自分のやりたいことができなくて焦る」などなど、子育てへの不安や焦りが強まっています。

 

昨今といっても、日本では1970年代、「コインロッカーベビー事件」(※)が全国のターミナル駅で同時多発的に発生し。

「母性の喪失」として人々に大きなショックをあたえ社会問題化した頃からその傾向が顕著です。

 

高度成長期から日本人の生活は一気に高度化、社会全体に豊かさを行き渡った反面、地域・血縁コミュニティが崩壊し、核家族化が進みます。

都会のマンションで一人、赤ちゃんに触れたこともない未熟な母親が子育てのすべてを担うことに・・・。

 

こんな状況のなかで子育てをせざる得なくなった母親たちの不安、焦りが「育児不安」です(詳しくはコチラ<「育児不安:子育てがこんなに大変だなんて・・・」>)。

 

※    コインロッカーベイビー事件: 1973年に前後して、鉄道駅などに設置されているコインロッカーに遺棄された新生児が日本国内で同時多発的に発生した事件。生きたまま捨てられていれば捨て子事件、新生児が死亡していれば死体遺棄事件でもある。

1973年だけで、全国で43件が発生、「母性の喪失」として大きな社会問題になる。

 

海外では「育児不安」はない?!

しかし、社会が変化したのは、日本だけではありません。

多くの先進諸国が、日本同様、産業構造の変化、都市化、少子高齢化など家族を取り巻く変化を経験しています。

 

では、これらの国も同様に、母親たちの育児不安に強いのでしょうか。

答えは、NOです。

海外の心理学に、「育児不安」=Child-raising Anxietyと訳して、状態を説明しても、??

もちろん、自国の母親たちも時間的・体力的に育児は大変と思っているけど、大多数の母親は育児を楽しいものだと感じているというのです。

 

「子どもと家族に関する国際比較調査」(総務庁、1995)でも、大きな違いがありました。

「子どもを育てるのは楽しい」と答えた母親は、アメリカ67.8%、韓国51.9%だったのに対し、日本はわずか20.8%でした。

 

日本の育児不安は、「母性神話」と関係?

なぜ、海外と比べて、これほど大きな差があるのでしょうか?

そこには、何か日本独自の問題がありそうです。

 

もちろん、これらの国では、日本より夫婦で子育てをする体制がとりやすい、母親が仕事を継続しながら子育てを続けられるなどの条件が整っているのでしょう。

たしかにこれらの条件が整っていると、日本でも母親の育児不安を軽減されます(詳しくはコチラ<「子育てを楽しむ秘訣?」をご覧ください。>)。

 

しかし、日本独自の問題として、日本できわめて強い「母親規範」や「母性神話」が影響している可能性があります。

日本では、母親が育児するのは自然・当然・最善。

子育て中の母親は自分のことはさておいて子どもに尽くすべきとの母親への縛りが非常にきつい国です。

 

さらには女性には母性本能が備わっている、母性愛は至上である。

そんな言説が、広く一般に信じられ、母親自身の心にも強く作用しています。

 

いまだに「3歳児神話」も

今だに“3歳までは母の手で”のメッセージにも出会います。

たとえば、2016年4月、安部首相は成長戦略のスピーチで「3年間抱っこし放題」と高らかに宣言しました。

現行の育児休業を最長1年半から3年間まで延長する内容。

 

これに対して、ある識者は、「どうやら安部首相は『仕事を持つ母親は子どもが3歳になるまで、仕事をせずに子どもを抱っこしていればよい』と考えているようだ。日本は1986年の男女雇用機会均等法前の社会に戻ってしまったのか」

 

ネットにも、「3年間抱っこし放題」って何よ? 「抱っこ」が無条件に楽しいとでも思ってるのかね?? あれメチャキツイで。もう該当者置いてけぼり、ナメきってるとしか思えん、などのお怒りの投稿。

このプランに対しては各方面から疑問、異論、反論が巻き起こりました。

 

日本ではこのように3歳という年齢は、とんでもない神通力を発揮し続けています。

親、夫、職場、近隣社会などもこの考えを楯に、「こんな小さいのに(保育園に預けるなんて)可哀そう」と陰に陽に“母の手”育児を迫ります。

 

このような母性神話に囲まれて、母親自身も知らず知らずにとらわれ、それに沿って行動をとりがちです。

日本で第1子出産を機に退職する女性が6割もいるのもそのためです。

このように出産で辞める母親が多いのは、先進諸国のなかでは今や日本と韓国にだけみられる現象です。

 

「母性神話」は正しいのか?

ところで、この母ならだれでも子どもを愛するはず、だから子育ては問題なくできるはずという「母性神話」は正しいのでしょうか。

 

発達心理学の研究によれば、答えは、NOです。

正しい答えは、「子どもへの愛情は子育てを経験するなかで育つものだ」。

 

母親を見る、笑う、声を出すといった赤ちゃんの行動が、子どもへの愛情(母性愛)の重要な契機となることが明らかにされています(詳しくはコチラ<赤ちゃんの戦略:周りに愛されネットワークを作る「有能さ」>)

 

決して、女性なら、あるいは子を産み母となれば、「母性愛」は自然・当然生まれるくるものではないのです。

 

また、歴史学の研究によれば、「母性神話」は明治時代に政治的に作られたもの。

すなわち、国家の家族戦略の一環として、母性神話は政府によって流布されたというのです。

目的は、「良妻賢母」政策を推し進めるためでした。

 

戦後は、「男は仕事、女は育児家事」の分業家族を制度化。

この神話のおかげで、保育園の整備に税金をかける必要もなく、子育ては母親に任せ、男性は「猛烈サラリーマン」「企業戦士」として最大活用できました。

 

しかし、これ以上、国民をだまし続けるのは罪と感じたのでしょうか?

政府は、平成10年(1998年)版「厚生白書」で「少なくとも合理的な根拠は認められない」と初めて公表。

しかし、すでに国中に広まり、国民の心に深く根付いた信念(神話)です。

突然、「根拠がない」と言われても、「なんだ、そ~なの」のマインドコントロールが解けるはずがありません。

 

こうして、現代の母親たちも、自分を母親として評価してもらうと(氏家1996)

「(子どもに)やるべきことができていない」、「感情のコントロールができていない」、「自分の都合を優先してしまう」などなど。

手抜きや自分優先などもってのほか、母親たるもの子育てをもっと一所懸命やるべしといった母親像を評価基準に、それに達していない自分を“ダメ母”と感じてしまうのです。

 

日本で母親になるということは、なんとツライことでしょうか!?

 

 

 

【参考文献】

柏木恵子 2003 家族心理学:社会変動・発達・ジェンダーの視点 東大出版会

小山静子 1991 良妻賢母という規範 勁草書房

氏家達夫 1996 親になるプロセス 金子書房