あなたはパートナーとどのような関係でいたいと考えていますか。

結婚には、大きくは次の2つの側面があります。

生活的側面;家事は誰がするか、家計は誰が責任をもつかなどの面

関係的側面;性生活も含めて心理的・情緒的な関係の面

生活面について関心のある方は、<><>をご覧ください。

この記事は、結婚生活において、夫婦の間で“愛”を育むという側面、夫婦の絆、夫婦の愛のかたちというものについて考えてみたいと思います。
この問題を考えるため、典型例とみなせる2組の夫婦をご紹介しましょう。いずれの例も、夫側から見た妻あるいは結婚に対する意見・態度を表しています。

 

「昭和型」夫婦の愛のかたち

まず、最初の例は、遠藤周作の小説『深い河』の男性主人公の夫婦の例です。
彼は、癌で妻を失ったあと、妻の遺品を眼にするたびにいいようのない寂しさと悔いを噛みしめながら、「俺は妻を愛していたのだろうか」と自問自答します。

「・・・・結婚生活とは彼にとって、たがいに世話したり面倒みたりする男女の分業的な助け合いだった。
同じ屋根の下で生活を共にして、惚れたはれたなどという気持ちが急速に消滅してしまえば、あとはお互いがどのように役にたつか、便利かが問題になるのだ。(中略)夫が毎日、神経をすりへらして会社から戻った時、どれだけわがままを許し、休息の場を作っておいてくれるかが妻の最大の仕事だと彼は考えていた・・・」。

これは、性別役割分業で暮らしてきた夫婦の夫の結婚観を代表していると考えられます。
昭和に全盛をきわめた夫婦のあり方ですので、「昭和型」と名付けることにします。
70代、80代の世代ではほとんどがこのタイプですが、もっと若い世代でもこういうタイプのご夫婦はいくらでもいます。

出勤前、夫がワイシャツを着終るか終らないかの絶妙なタイミングで、妻が、その日のスーツにマッチしたネクタイを差し出す。
夫が風呂の蓋を閉める音を聞いて、妻がお酒の温め始めると、夫が食卓につく頃にちょうど夫好みの燗が出来上っている、そんな夫婦の日常を見て、周りも「へえ、ダテで夫婦やってきたんじゃないんだ」と妙に感心したりする、そういう夫婦です。
これもひとつの“愛”のかたちだと思います。

日本には、夫を「甘えさせ」「世話をやく」妻、しかもそれでいながら「夫を立てる」妻を高く評価する文化的な伝統があります。
ところで、「立てる」というのはおもしろい表現です。
一人では立たないものを、側の人が必死になって支えることによって、あたかも一人で立っているかのごとくみせる、という意味です。
このタイプの夫婦をつないでいる絆は何なのでしょうか。
この男性主人公が述懐するように、夫婦が互いに“どのように役に立つか”を契機につながっているので、「役割」を絆につながる夫婦といえるでしょう。

このような「昭和型」夫婦に子どもが生まれると、夫・妻役割のほかに父親・母親役割が加わるので、一般に、「役割」の絆はいっそう強化されます。
まさに、子は“かすがい”。子どもが生まれと、夫婦が互いを「パパ」・「お父さん」、「ママ」・「お母さん」と呼び始めるのも、この「昭和型」夫婦の特徴です。

 

「恋人型」夫婦の愛のかたち

もう1組のご夫婦をご紹介しましょう。妻が夫と同等に仕事をしている共働き夫婦に多くみられるタイプです。

ご紹介するのは、作家で俳優の大鶴義丹さん(32歳)のインタビュー記事です。ちなみに、彼の妻はブラジル出身の歌手です。
「妻の前でパンツ一丁でウロウロなんかできません。…多少距離を置いて、お互いに気を遣ったほうがいいんじゃないですか?夫婦はしょせん、他人なんですから」。「(二人目の子どもを産むかどうかの)選択は、彼女にまかせるつもりです。彼女が自分の人生をどう考えるか、彼女の生き方を大事にしたいですから。
僕にとって「家庭」は、いわば同志・同胞が集う場。何を大事だと思って生きていくか、それが共通していれば、それでいいんじゃないかと思っています。」

夫婦はしょせん他人、「家庭」は、同志・同胞が集う場ときました。
ずいぶんと風通しのいい感じです。
性的には、「夫婦とはいえ、夫をオスとして意識し、妻をメスとして意識する部分が欠落するとダメ」なので、「男も女も、肥満しちゃいけない(笑)」などとても手厳しいのです。
何歳になっても相手に(から)セクシーであることを期待する(期待される関係)です。

「一人でも生きていける、でも二人ならもっといいね」、と思っていっしょになった夫婦。
相手に精神的な刺激と性的な魅力を求め続けているので、「恋人型」夫婦と名づけましょう。

ところで、このタイプの夫婦の愛は何によって結ばれているのでしょう。
「役割」と同じ次元で2人を結び付けるものは何もないような気がします。
一緒にいると“便利”という感覚はどこにもありません。
ほとんど恋愛の延長線上で結婚しています。

「恋人型」夫婦には離婚が多い?

このタイプの夫婦は、二人の間で恋愛感情が冷めたら、互いの便利のために結婚生活を続けたりはしないでしょう。
もちろん、「家庭内離婚」はありえない。
「愛」は努力で続くけど、「恋」は長続きしないとよく言われます。
この点を考えると、「恋人型」は存続させることは難しいのかもしれません。
そして、現に、この夫婦は後日離婚しました。

日本では、近年、離婚が急増しています。比率にして3組に1組、時間にして25分間に1組が離婚しています。
日本も「恋人型」の愛のかたち求める夫婦が増えているのかもしれません。

個人の選択の問題ではありますが…
夫婦の愛のかたちは、千差万別。十人十色ならぬ、十組十色のありかたがあります。
もちろん、今挙げた夫婦の愛のかたちも、あまたあるうちの2つにすぎません。
それぞれの夫婦がそれなりに幸せならそれでいいじゃない、他人が口出しすることではない、という考え方があります。

その通りです。私も、この意見に賛成です。
と言った後で、「夫婦の愛のかたち」についていっしょに考えましょうと話を進めてきたのに、「個人の選択の問題」の一言で終りにしてしまっていいものだろうか、と急に心配になりました。

 

家族は「進化」している:夫婦のかたちも時代社会の変化とともに

その理由は、こうです。これからの夫婦・家族のありようは、歴史の流れ、社会の動きなど、もっと大きな問題の一部として考える必要があるのではないかと思われるからです。
それは、他でもない家族それ自体が、歴史的・社会的存在だからです。

このことは、自分が生きているこの時代にどんな変化が起きているのか、自分が暮らしている社会でどんな変化が起きているのか、これらについて、十分な理解・認識のないまま、単なる個人的な好みで夫婦の愛のかたちや家族のありようを選択すると、後で手痛いしっぺ返しをくらう可能性が高いということを意味します。

ですので、日本の家族が歴史的・社会的にいまどんな変化のときを迎えているのか?<詳しくはコチラ進化する家族(2)>
その認識の上に立って、どのような夫婦の愛のかたちが自分たちにとって最適なのか?
お二人で考えていただければ嬉しいなと思います。

【参考文献】
柏木恵子 2003 家族心理学:社会変動・発達・ジェンダーの視点から 東京大学出版会